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このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
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2014年09月26日
自己肯定感が低いとどうなるの?(実体験から)
●自己肯定感が低いとどうなるの?(実体験から)
昔の私は、本当に自己肯定感が低い人間でした。
そして今、あの頃とは比べ物にならないくらい、毎日を楽しく生きています。
自己肯定感が低い人はどうなってしまいがちなのか、実体験とともにお伝えしてみます。
…長いです。お気をつけください~。

■自分自身が嫌い。信じられない。
誰よりも、自分自身が大嫌い。こんなにチビで変な声で、頭も悪いし性格も悪い。欠点だらけでみんなよりずっと劣っているので、生きている価値がない。…なんて考えになりました。
■自分以外の人も嫌い。信じられない
こんなに苦しい自分を助けてくれない周囲が嫌い。
こんなダメな自分に優しくするなんて、下心があるに違いないから嫌い。
…んー、なかなかに救い難い考え方…(笑)
■人と仲良くできない。
「こんな私」だから、嫌われるのが当たり前。だけどそれじゃ存在すら危ういから、せめて人から嫌われないようにしなければ。
「どうしたら一緒に楽しめるか」という考えにはなれず、卑屈に「相手から嫌われない方法」だけを考え続けて自分がどんどんなくなりました。(逆にそういう人って、好かれるわけがないんですよね)
私は「自分を抑える」方にいきましたが、「相手を貶めて、自分が偉くなったようにする」人や、「誰かに評価されないと自分に価値が見いだせなくて、人からの評価がものすごく気になる」人もいます。
■頑張れない・行動が起こせない
頑張ろうという気持ちにはなれませんでした。だってどうせ「こんな私」が成功するわけないんだから。
失敗する気しかしないから、動かない方がいい。今も苦しいけど、行動したらもっと大変になるかもしれない。もし失敗したら、もう生きていけないかもしれないから。ひたすら怖かったんです。
■誰かに助けが求められない
いじめを受けても、悩みがあっても、誰かに助けを求めることができません。だって「こんな私」だから、そんな目にあっても当たり前。それに、助けてもらえるとは限らない。
もし「助けて」と言ってそれをはねのけられてしまったら、もう立ち直れないんです。だってもう、気持ちとしてはギリギリだから。だから、自分の中でどうにか押し殺さなければ…。
■どうにかして消える方法を考える
死ぬことも考えたし、不良になることも考えました。死ぬのは勇気が出ず、不良化はあまりにも似合わなかったからやめたけど。(チビでアニメ声の不良は、ギャグにしかならない…)
でも、そういう「抵抗」すらもできなくなった時、自分の存在がどうやったら「消えてなくなる」のかをずっとずっと考えてました。
■悪いことばかり考える
「考え方次第」とか「いい方向に考えて」というような言葉が耳に入らなかったわけではありません。ただ、自分の目に映るものは全て、「私がダメな証拠」ばかりでした。
テストの点数が良ければ「たまたま」と思い、悪ければ「これが実力」。
いいことがあったら「次に悪いことがあるかもしれない」と思い、悪いことが起これば「あぁやっぱり」
しまいには、目の前で信号が赤に変わることも、「私が世の中に疎まれている理由」ということに(笑)。
■人の意見に左右されまくる
自分はダメだと思ってるから、人に言われることにいつも左右されます。
でも人によって言うことは違ってくるので、いつも戸惑うし、「誰に合わせればいいのか」がわからなくて、また自信がなくなります。
OKをもらえている自分なら認められますが、評価されてない時はいつも「これでいいのかな」と不安になってました。
そういや私は制服を「着崩す」ことができなかったんです。「適度に標準からはずれる」ことが、何より難しかった。
生徒手帳に載っているような「望まれる生徒像」を実践する方が、安心できていました。
■不条理な噛み付き方をはじめる
これは私が一番恥じているところなんですが…。
自分は自信がないくせに、「言っても怒らない」という人には無茶苦茶な批判をする、というようなことがありました。
特に父に対して。お酒を飲んで気持よく話している父を論破して、「大人よりちゃんと出来る自分」なんだと思い込もうとしてました。
父が言い返してこないことを知っているからこそ、というのはとても卑怯だったと思います。しかもその頃、私は父を下に見ようとしていました。
こういうことは本当によくあることのようです。あちこちで「人を攻撃することで溜飲を下げる人達」を見るたびに、あの頃の自分を思い出したりします。
■恋愛なんてできない
年頃の女の子なりに、恋愛に興味はあるけど恋ができるわけがない、って状態でした。
好きになってもどうせふられるもの。逆に嫌がられたら嫌だもの。自分を磨いて変われる人はいいけど、どうせ私じゃ無理でしょ。
でもなんだか言い寄ってくれる人がいて、なんとなく流されてみたこともありました。ただ、「好きだ」とは言われたけど実は4股で(笑)、何もないまま「付き合ってとは言ってないよね?」と言われて終了。
その時はただ、悲しくもならず、「あぁやっぱり」としか思えなかったなぁ。
■そして笑顔の鎧を身につけた
そのままの自分では、生きてる価値もないし、存在してはいけない。せめて「そこにいても嫌がられないように」するため、ひたすらニコニコしてました。
そして、一時期『感情』がものすごく減りました。ニコニコしてるけど楽しくないし、嬉しくない。悲しくもないし、腹も立たない。一種の逃避行動だったんでしょうね。
でも周りに合わせなきゃいけないから、周りが悲しんでるのを見ては悲しい顔をして、怒ってるのを見ては一緒に怒るフリをしてました。
…あぁ書いていて息苦しい(苦笑)。よく生きてたなぁ。
「絶対に、大事にされてない」
「絶対に、愛される価値がない」
「絶対に、私は幸せになれない」。
自分には自信がないくせに、この意識だけは『絶対』と思い込んでいたんです。
じゃあ「どうやって変わったの?」というところがあると思いますが、長くなったので次の記事で。
昔の私は、本当に自己肯定感が低い人間でした。
そして今、あの頃とは比べ物にならないくらい、毎日を楽しく生きています。
自己肯定感が低い人はどうなってしまいがちなのか、実体験とともにお伝えしてみます。
…長いです。お気をつけください~。

■自分自身が嫌い。信じられない。
誰よりも、自分自身が大嫌い。こんなにチビで変な声で、頭も悪いし性格も悪い。欠点だらけでみんなよりずっと劣っているので、生きている価値がない。…なんて考えになりました。
■自分以外の人も嫌い。信じられない
こんなに苦しい自分を助けてくれない周囲が嫌い。
こんなダメな自分に優しくするなんて、下心があるに違いないから嫌い。
…んー、なかなかに救い難い考え方…(笑)
■人と仲良くできない。
「こんな私」だから、嫌われるのが当たり前。だけどそれじゃ存在すら危ういから、せめて人から嫌われないようにしなければ。
「どうしたら一緒に楽しめるか」という考えにはなれず、卑屈に「相手から嫌われない方法」だけを考え続けて自分がどんどんなくなりました。(逆にそういう人って、好かれるわけがないんですよね)
私は「自分を抑える」方にいきましたが、「相手を貶めて、自分が偉くなったようにする」人や、「誰かに評価されないと自分に価値が見いだせなくて、人からの評価がものすごく気になる」人もいます。
■頑張れない・行動が起こせない
頑張ろうという気持ちにはなれませんでした。だってどうせ「こんな私」が成功するわけないんだから。
失敗する気しかしないから、動かない方がいい。今も苦しいけど、行動したらもっと大変になるかもしれない。もし失敗したら、もう生きていけないかもしれないから。ひたすら怖かったんです。
■誰かに助けが求められない
いじめを受けても、悩みがあっても、誰かに助けを求めることができません。だって「こんな私」だから、そんな目にあっても当たり前。それに、助けてもらえるとは限らない。
もし「助けて」と言ってそれをはねのけられてしまったら、もう立ち直れないんです。だってもう、気持ちとしてはギリギリだから。だから、自分の中でどうにか押し殺さなければ…。
■どうにかして消える方法を考える
死ぬことも考えたし、不良になることも考えました。死ぬのは勇気が出ず、不良化はあまりにも似合わなかったからやめたけど。(チビでアニメ声の不良は、ギャグにしかならない…)
でも、そういう「抵抗」すらもできなくなった時、自分の存在がどうやったら「消えてなくなる」のかをずっとずっと考えてました。
■悪いことばかり考える
「考え方次第」とか「いい方向に考えて」というような言葉が耳に入らなかったわけではありません。ただ、自分の目に映るものは全て、「私がダメな証拠」ばかりでした。
テストの点数が良ければ「たまたま」と思い、悪ければ「これが実力」。
いいことがあったら「次に悪いことがあるかもしれない」と思い、悪いことが起これば「あぁやっぱり」
しまいには、目の前で信号が赤に変わることも、「私が世の中に疎まれている理由」ということに(笑)。
■人の意見に左右されまくる
自分はダメだと思ってるから、人に言われることにいつも左右されます。
でも人によって言うことは違ってくるので、いつも戸惑うし、「誰に合わせればいいのか」がわからなくて、また自信がなくなります。
OKをもらえている自分なら認められますが、評価されてない時はいつも「これでいいのかな」と不安になってました。
そういや私は制服を「着崩す」ことができなかったんです。「適度に標準からはずれる」ことが、何より難しかった。
生徒手帳に載っているような「望まれる生徒像」を実践する方が、安心できていました。
■不条理な噛み付き方をはじめる
これは私が一番恥じているところなんですが…。
自分は自信がないくせに、「言っても怒らない」という人には無茶苦茶な批判をする、というようなことがありました。
特に父に対して。お酒を飲んで気持よく話している父を論破して、「大人よりちゃんと出来る自分」なんだと思い込もうとしてました。
父が言い返してこないことを知っているからこそ、というのはとても卑怯だったと思います。しかもその頃、私は父を下に見ようとしていました。
こういうことは本当によくあることのようです。あちこちで「人を攻撃することで溜飲を下げる人達」を見るたびに、あの頃の自分を思い出したりします。
■恋愛なんてできない
年頃の女の子なりに、恋愛に興味はあるけど恋ができるわけがない、って状態でした。
好きになってもどうせふられるもの。逆に嫌がられたら嫌だもの。自分を磨いて変われる人はいいけど、どうせ私じゃ無理でしょ。
でもなんだか言い寄ってくれる人がいて、なんとなく流されてみたこともありました。ただ、「好きだ」とは言われたけど実は4股で(笑)、何もないまま「付き合ってとは言ってないよね?」と言われて終了。
その時はただ、悲しくもならず、「あぁやっぱり」としか思えなかったなぁ。
■そして笑顔の鎧を身につけた
そのままの自分では、生きてる価値もないし、存在してはいけない。せめて「そこにいても嫌がられないように」するため、ひたすらニコニコしてました。
そして、一時期『感情』がものすごく減りました。ニコニコしてるけど楽しくないし、嬉しくない。悲しくもないし、腹も立たない。一種の逃避行動だったんでしょうね。
でも周りに合わせなきゃいけないから、周りが悲しんでるのを見ては悲しい顔をして、怒ってるのを見ては一緒に怒るフリをしてました。
…あぁ書いていて息苦しい(苦笑)。よく生きてたなぁ。
「絶対に、大事にされてない」
「絶対に、愛される価値がない」
「絶対に、私は幸せになれない」。
自分には自信がないくせに、この意識だけは『絶対』と思い込んでいたんです。
じゃあ「どうやって変わったの?」というところがあると思いますが、長くなったので次の記事で。
2012年08月21日
自分に手間暇をかける
このブログにはじめて来てくださった方は、こちらの記事をどうぞ
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*
自分が嫌い、という人は結構多くて、
どうやったら自分が好きになれるの?
というような話もよくあります。
結局、自己肯定感をとイコールだったりしますよね。
ということで、
今日もまた、自己肯定感をアップさせる方法の一つ。
今日は、
「自分にじっくり手間暇をかける」
ということです。
手間暇をかけた料理とか、
手間暇をかけた手作りの物って、
それだけで、とっても愛おしくなったりするんですよね。
なのに、
自分のことになると、
手間暇をかけない人が結構いたりして。
もしくは、
自己肯定感が低いせいで、
「私自身にそんな時間や労力をかけるなんてもったいない」
という気分になってしまったり。
その辺り、自分もそうだったんで、
すごくすごーく、わかるんですよね。
洋服や化粧、
食べる物や生活習慣などなど、
自分のことは後回し、
というか、
自分のことを考えるのはもったいないというか、申し訳ないというか、
そんなことを考えている時って、
自分を大切にできている気なんか、全然しなくなっちゃう。
ダイエットや整形をして、人生が変わる人がいますが、
これって結局、
自分にじっくり向き合って、変化して、
自己肯定感がぐーんとアップしたことで
人生が変わるんじゃないかと思います。
だから、
自分を丁寧に扱ってあげることで、
人生が変わるかもしれません。
今日の提案
ちょっとだけ、自分に意識をむけてあげませんか?
自分自身が喜ぶ物を、自分に与えてあげませんか?
洋服でも化粧でも、食べる物でも生活習慣でも
なんでもかまいません。
自分を丁寧に扱うことで、
自分が大切な物に見えてくるかもしれません
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*
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ベビママニュアルとダイジェスト版無料ダウンロードについてはこちらから
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自分が嫌い、という人は結構多くて、
どうやったら自分が好きになれるの?
というような話もよくあります。
結局、自己肯定感をとイコールだったりしますよね。
ということで、
今日もまた、自己肯定感をアップさせる方法の一つ。
今日は、
「自分にじっくり手間暇をかける」
ということです。
手間暇をかけた料理とか、
手間暇をかけた手作りの物って、
それだけで、とっても愛おしくなったりするんですよね。
なのに、
自分のことになると、
手間暇をかけない人が結構いたりして。
もしくは、
自己肯定感が低いせいで、
「私自身にそんな時間や労力をかけるなんてもったいない」
という気分になってしまったり。
その辺り、自分もそうだったんで、
すごくすごーく、わかるんですよね。
洋服や化粧、
食べる物や生活習慣などなど、
自分のことは後回し、
というか、
自分のことを考えるのはもったいないというか、申し訳ないというか、
そんなことを考えている時って、
自分を大切にできている気なんか、全然しなくなっちゃう。
ダイエットや整形をして、人生が変わる人がいますが、
これって結局、
自分にじっくり向き合って、変化して、
自己肯定感がぐーんとアップしたことで
人生が変わるんじゃないかと思います。
だから、
自分を丁寧に扱ってあげることで、
人生が変わるかもしれません。
今日の提案
ちょっとだけ、自分に意識をむけてあげませんか?
自分自身が喜ぶ物を、自分に与えてあげませんか?
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なんでもかまいません。
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