♪ご訪問いただき、ありがとうございます♪
このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
2010年01月21日
子どもは大人以上のものを見ている
子どもの頭を鍛えるということで、
最近ものすごく、
「幼児教育」というものがはやっているような気がします。
先ほどのような日記を書いておいてなんなんですが
私自身は、
あんまり幼児教育に興味はなかったりするんです(汗)。
でも、これに関してもいろいろ聞かれるので
ちょっとまた、書いてみようかなと。
幼児教育、
良いか悪いか、という話になると、
本当に色々な意見があると思います。
よくあるのは
3歳までに臨界期があるから、
そこまでにやらないと、英語などは覚えられないとか、
逆に、幼児教育のようなものをしていると、
子どもの自由さを奪ってしまう、だとか。
やりたければやればいいし、
必要なければやらなきゃいいんじゃない?
というのはあまりにも無責任なので、
ちょっと色々な面からの
意見を書いてみようかと。
まず、
数年前に聞いた話なんですが、
「バカの壁」を書いた
養老孟子先生の言葉。
幼児教育、ということを色々頑張って、
親はいろんなことを教えようとしますが、
実は子どもは、
親が知っている以上に
ものすごくたくさんのことを
感じ取っているんだそうです。
親は、
「これは1だよ」とか、
「●●という名前のものだよ」とか、
「英語だと●●だよ」とか、
そういうことを教えようとするけれど、
赤ちゃんは実は、
その紙の質感だとか、
お母さんの声の調子だとか、
そんなものもちゃんと
聞き分けているんだそうで。
たとえば、
猿などの顔を見ても
私たちは全部同じ顔に見えたりしますけど、
赤ちゃんは、
それすらも見分けているらしい。
ただ、
それがすごいかというと、
(確かにすごいんだけど)
それでは、日常生活に問題があったりします。
お母さんが言っている「りんご」と
お父さんが言っている「りんご」が
同じものだと理解できないと、
りんご、というものが理解できないんですよね。
言葉とか、
数字とか、
そういうものは結局
「暗号」なんだとか。
お父さんが言っている「りんご」と
お母さんが言っている「りんご」。
それは同じ「りんご」という概念だから、
細かいことは気にならなくなること、
イントネーションだとか
言っている人だとか、
声の調子だとか、
大きいとか小さいとか、
そういういろんな情報は
遮断できるようになること、
それが、
成長するということなんだということです。
で、養老さんがおっしゃっていたのは、
大人なんかより、
子どもの方がよっぽどいろんなものを見えている。
というか、
大人は見えなくなっているものがたくさんある。
そんな大人が
子どもに色々教え込もうとするのは
足りない部分があるんじゃなかろうか、
というようなお話でした。
なんかすごく、
納得したような記憶があります。
これは、幼児教育を
良いか悪いか、ということではなく、
小さい頃
(確かにものすごく、記憶していきますので)
何か教えるのはいいんだと思うんです。
…子どもが喜ぶんであれば。
ただし、
大人が全てわかったような気になって、
子どもに色々教えようとすると、
ちょっと足りない部分、というものが
あるかもしれないな~なんて
思ってしまっています。
色々な「暗号」を覚えるのも楽しいけれど、
外に出て、
空の雲の動きを見たり、
虫をまじまじと見たり
親から見たら、なんかよくわからない行動を
延々やって笑っていたり。
そういうのって、
実はものすごく、
学んでいるんじゃないかな~なんて
思っている私です。
じゃあ幼児教育っていらない?といわれると、
そうでもないような気がする私。
明日の記事では、
「教育することの大切さ」みたいな記事を
書いてみようと思っています。
最近ものすごく、
「幼児教育」というものがはやっているような気がします。
先ほどのような日記を書いておいてなんなんですが
私自身は、
あんまり幼児教育に興味はなかったりするんです(汗)。
でも、これに関してもいろいろ聞かれるので
ちょっとまた、書いてみようかなと。
幼児教育、
良いか悪いか、という話になると、
本当に色々な意見があると思います。
よくあるのは
3歳までに臨界期があるから、
そこまでにやらないと、英語などは覚えられないとか、
逆に、幼児教育のようなものをしていると、
子どもの自由さを奪ってしまう、だとか。
やりたければやればいいし、
必要なければやらなきゃいいんじゃない?
というのはあまりにも無責任なので、
ちょっと色々な面からの
意見を書いてみようかと。
まず、
数年前に聞いた話なんですが、
「バカの壁」を書いた
養老孟子先生の言葉。
幼児教育、ということを色々頑張って、
親はいろんなことを教えようとしますが、
実は子どもは、
親が知っている以上に
ものすごくたくさんのことを
感じ取っているんだそうです。
親は、
「これは1だよ」とか、
「●●という名前のものだよ」とか、
「英語だと●●だよ」とか、
そういうことを教えようとするけれど、
赤ちゃんは実は、
その紙の質感だとか、
お母さんの声の調子だとか、
そんなものもちゃんと
聞き分けているんだそうで。
たとえば、
猿などの顔を見ても
私たちは全部同じ顔に見えたりしますけど、
赤ちゃんは、
それすらも見分けているらしい。
ただ、
それがすごいかというと、
(確かにすごいんだけど)
それでは、日常生活に問題があったりします。
お母さんが言っている「りんご」と
お父さんが言っている「りんご」が
同じものだと理解できないと、
りんご、というものが理解できないんですよね。
言葉とか、
数字とか、
そういうものは結局
「暗号」なんだとか。
お父さんが言っている「りんご」と
お母さんが言っている「りんご」。
それは同じ「りんご」という概念だから、
細かいことは気にならなくなること、
イントネーションだとか
言っている人だとか、
声の調子だとか、
大きいとか小さいとか、
そういういろんな情報は
遮断できるようになること、
それが、
成長するということなんだということです。
で、養老さんがおっしゃっていたのは、
大人なんかより、
子どもの方がよっぽどいろんなものを見えている。
というか、
大人は見えなくなっているものがたくさんある。
そんな大人が
子どもに色々教え込もうとするのは
足りない部分があるんじゃなかろうか、
というようなお話でした。
なんかすごく、
納得したような記憶があります。
これは、幼児教育を
良いか悪いか、ということではなく、
小さい頃
(確かにものすごく、記憶していきますので)
何か教えるのはいいんだと思うんです。
…子どもが喜ぶんであれば。
ただし、
大人が全てわかったような気になって、
子どもに色々教えようとすると、
ちょっと足りない部分、というものが
あるかもしれないな~なんて
思ってしまっています。
色々な「暗号」を覚えるのも楽しいけれど、
外に出て、
空の雲の動きを見たり、
虫をまじまじと見たり
親から見たら、なんかよくわからない行動を
延々やって笑っていたり。
そういうのって、
実はものすごく、
学んでいるんじゃないかな~なんて
思っている私です。
じゃあ幼児教育っていらない?といわれると、
そうでもないような気がする私。
明日の記事では、
「教育することの大切さ」みたいな記事を
書いてみようと思っています。
Posted by まこ at 18:30
│色んな情報