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このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
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2008年12月07日
プロフィール その3 全てを呪っていた時代(長文です)
そしてさらに、私自身のこと… (こちらはちょっと、重いです)
私は、子どもの頃、
もっと親にかまって欲しいと思い続けていた子どもでした。
比較的手のかかる弟がいて、
「あなたはほっといても大丈夫だから」と言われていました。
成績が悪い時も褒められる(おだてられる?)弟を見ながら
100点をとっても褒められない、もしくは弟と同じくらいしか褒めてもらえない
自分に価値がないと思い込んできました。
弟はよく病気をして、
母がつきっきりで看病するのを見ていました。
なかなか病気になることのなかった元気な私は
母を独り占めできる弟をうらやましく思っていました。
(そしてなぜか、珍しく私が熱を出すと、同時に弟も熱を出しました・笑)
母は、昔から自由な(笑)人でした。
とても明るく朗らかで、頼りになる人ですが、
理詰めの話がとても嫌いな人でした。
勉強をすることよりも、手伝いをすることに重きを置いていました。
勉強のほうが好きな私は、あまり褒められませんでした。
つたないながら理論的に色々話をしようとすると
面倒だと言われました。
面倒くさい子だと言われ、愛されない子なんだと思いました。
(これは母が悪いわけでも、私が悪いわけでもないと思っています。
根本的な考え方が違っただけです)
常に、「私は愛されていない」という意識がありました。
常に、「私は愛される価値がない」という意識がありました。
常に、「私は幸せにはなれない」という意識がありました。
今となっては誰にも信じてもらえませんが、
中学くらいの頃は、全てを呪っていました。
自分なんか死んでしまえばいい。
人間なんて、滅んでしまえばいい。
とても、ゆがんでいたと思います。
いじめにもあったりして、
無意識の、辛さを感じなくするための逃避だったのか
悲しさも怒りも、喜びも楽しさも
表情は作るけれど本当に感じることはできなくなりました。
自殺をしようとも思いましたが、
その勇気はありませんでした。
ぐれてみようかとも思いましたが、
身長が低く、アニメ声(ええ、アニメ声なんです)の不良なんて、
どう考えてもギャグにしかならないと思ってやめました(笑)
もしかしたら、そのままいけば
精神を病んでいたか、
犯罪をおこしていたのかもしれません。
周りを呪い続けて、
自分を嫌い続けて、
生きることが辛くてしかたありませんでした。
運良くそんな私に気づいてくれた大人がいて、
少しずつ、引き上げてくれました。
タイミングよく、自分を引き上げてくれる心理学の存在も知り、
少しずつ、自分の内面を見ることができるようにもなりました。
自分に価値があること
愛されてもいい人間であること
人を愛してもいいこと
世界には幸せがあること
自分は幸せになることができること
今思えば当然のことを、
納得するまでかなりの時間がかかりました。
親を恨んでいるわけではありません。
親が、悪いひとだったわけではありません。
なのに、こんな風にすれ違ってしまっていました。
子ども時代、
特に赤ちゃんの時代は、
自分や周りの世界に対する「基本的信頼感」を
作る時期だといいます。
それは根本的なものであり、土台です。
私はそこで、こけていました。
自分も世界も信じられなかったら、
全てのことが、うまくいくわけがない。
もちろん両親は、愛していなかったわけではなかった。
むしろ子煩悩の部類に入る人でしょう。
(母は元保母さんです)
それでも、私のように
「基本的信頼感」を作ることができない子どもが育つこともあるんです。
それはちょっとした、すれ違いで。
親にも子どもにもある性格の違いで。
本当はある愛情を、伝えられなかったり、受け取れなかったりすることで。
大人になってからでも、基本的信頼感は、作れます。
でも、小さい頃に短期間でできることが
大人になってからでは、ものすごく時間がかかるんです。
そして、
私のような苦しみを抱える子どもが一人でも減ってほしい思って
ベビーマッサージを伝え始めました。
自分のことを見て、
微笑んで、
気持ちいいことをしてもらって、
愛されているという確信を持つ時間があることは
あの頃の私が、渇望していたことです。
幸せそうな赤ちゃんの表情を見て、
あの頃の私を重ね合わせて、
なんだか泣きそうになる気持ちになります。
そしてまた、お母さん達の方も、
赤ちゃんの笑顔で喜んで、
肌の感触の気持ちよさを感じて、
ゆったりとした時間に癒されているのを見ると、
また、泣きそうな気持ちになります。
母もきっと、小さい頃の私と心を通わせたかったんだろうと思います。
私は、「わかりにくい」子どもでしたから。
ベビーマッサージは、愛を伝える方法です。
そして、愛する心を育てる方法です。
あなたの赤ちゃんが、幸せな人生を歩むため、
マッサージをお伝えすることで
お役にたてたらと思います。
そして、
愛と幸せを信じることができる人ばかりになれば、
世の中はもっと、幸せが増えるはず。
子ども、すなわち未来を育てているお父さん・お母さん。
どうか力を貸してください。
誰もがベビーマッサージを知っている、やったことがある世界を
作るのが夢です。
それを通じて、子どもが愛を信じられるようになって
親も成長できて、幸せな思いを持ちながら育児できるように
手伝いできるのが夢です。
壮大な夢だけど、
できないことはないと思う。
あの頃の痛みの記憶は
誰にもまねのできない、私の大きな力になりました。
ベビーマッサージは誰にでもできるけれど、
辛い思いをしたこと、乗り越えたこと、
人の一生を通じた幸せを考え続ける保健師という仕事に
(期せずして)ついて、色々学ぶことが好きなこと、
これは、人の役にたてることかもしれないと、思っています。
私は、子どもの頃、
もっと親にかまって欲しいと思い続けていた子どもでした。
比較的手のかかる弟がいて、
「あなたはほっといても大丈夫だから」と言われていました。
成績が悪い時も褒められる(おだてられる?)弟を見ながら
100点をとっても褒められない、もしくは弟と同じくらいしか褒めてもらえない
自分に価値がないと思い込んできました。
弟はよく病気をして、
母がつきっきりで看病するのを見ていました。
なかなか病気になることのなかった元気な私は
母を独り占めできる弟をうらやましく思っていました。
(そしてなぜか、珍しく私が熱を出すと、同時に弟も熱を出しました・笑)
母は、昔から自由な(笑)人でした。
とても明るく朗らかで、頼りになる人ですが、
理詰めの話がとても嫌いな人でした。
勉強をすることよりも、手伝いをすることに重きを置いていました。
勉強のほうが好きな私は、あまり褒められませんでした。
つたないながら理論的に色々話をしようとすると
面倒だと言われました。
面倒くさい子だと言われ、愛されない子なんだと思いました。
(これは母が悪いわけでも、私が悪いわけでもないと思っています。
根本的な考え方が違っただけです)
常に、「私は愛されていない」という意識がありました。
常に、「私は愛される価値がない」という意識がありました。
常に、「私は幸せにはなれない」という意識がありました。
今となっては誰にも信じてもらえませんが、
中学くらいの頃は、全てを呪っていました。
自分なんか死んでしまえばいい。
人間なんて、滅んでしまえばいい。
とても、ゆがんでいたと思います。
いじめにもあったりして、
無意識の、辛さを感じなくするための逃避だったのか
悲しさも怒りも、喜びも楽しさも
表情は作るけれど本当に感じることはできなくなりました。
自殺をしようとも思いましたが、
その勇気はありませんでした。
ぐれてみようかとも思いましたが、
身長が低く、アニメ声(ええ、アニメ声なんです)の不良なんて、
どう考えてもギャグにしかならないと思ってやめました(笑)
もしかしたら、そのままいけば
精神を病んでいたか、
犯罪をおこしていたのかもしれません。
周りを呪い続けて、
自分を嫌い続けて、
生きることが辛くてしかたありませんでした。
運良くそんな私に気づいてくれた大人がいて、
少しずつ、引き上げてくれました。
タイミングよく、自分を引き上げてくれる心理学の存在も知り、
少しずつ、自分の内面を見ることができるようにもなりました。
自分に価値があること
愛されてもいい人間であること
人を愛してもいいこと
世界には幸せがあること
自分は幸せになることができること
今思えば当然のことを、
納得するまでかなりの時間がかかりました。
親を恨んでいるわけではありません。
親が、悪いひとだったわけではありません。
なのに、こんな風にすれ違ってしまっていました。
子ども時代、
特に赤ちゃんの時代は、
自分や周りの世界に対する「基本的信頼感」を
作る時期だといいます。
それは根本的なものであり、土台です。
私はそこで、こけていました。
自分も世界も信じられなかったら、
全てのことが、うまくいくわけがない。
もちろん両親は、愛していなかったわけではなかった。
むしろ子煩悩の部類に入る人でしょう。
(母は元保母さんです)
それでも、私のように
「基本的信頼感」を作ることができない子どもが育つこともあるんです。
それはちょっとした、すれ違いで。
親にも子どもにもある性格の違いで。
本当はある愛情を、伝えられなかったり、受け取れなかったりすることで。
大人になってからでも、基本的信頼感は、作れます。
でも、小さい頃に短期間でできることが
大人になってからでは、ものすごく時間がかかるんです。
そして、
私のような苦しみを抱える子どもが一人でも減ってほしい思って
ベビーマッサージを伝え始めました。
自分のことを見て、
微笑んで、
気持ちいいことをしてもらって、
愛されているという確信を持つ時間があることは
あの頃の私が、渇望していたことです。
幸せそうな赤ちゃんの表情を見て、
あの頃の私を重ね合わせて、
なんだか泣きそうになる気持ちになります。
そしてまた、お母さん達の方も、
赤ちゃんの笑顔で喜んで、
肌の感触の気持ちよさを感じて、
ゆったりとした時間に癒されているのを見ると、
また、泣きそうな気持ちになります。
母もきっと、小さい頃の私と心を通わせたかったんだろうと思います。
私は、「わかりにくい」子どもでしたから。
ベビーマッサージは、愛を伝える方法です。
そして、愛する心を育てる方法です。
あなたの赤ちゃんが、幸せな人生を歩むため、
マッサージをお伝えすることで
お役にたてたらと思います。
そして、
愛と幸せを信じることができる人ばかりになれば、
世の中はもっと、幸せが増えるはず。
子ども、すなわち未来を育てているお父さん・お母さん。
どうか力を貸してください。
誰もがベビーマッサージを知っている、やったことがある世界を
作るのが夢です。
それを通じて、子どもが愛を信じられるようになって
親も成長できて、幸せな思いを持ちながら育児できるように
手伝いできるのが夢です。
壮大な夢だけど、
できないことはないと思う。
あの頃の痛みの記憶は
誰にもまねのできない、私の大きな力になりました。
ベビーマッサージは誰にでもできるけれど、
辛い思いをしたこと、乗り越えたこと、
人の一生を通じた幸せを考え続ける保健師という仕事に
(期せずして)ついて、色々学ぶことが好きなこと、
これは、人の役にたてることかもしれないと、思っています。