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このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
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2014年09月26日
●私はどうやって変わった?
●私はどうやって変わった?
こんにちは。中見真琴です。自己肯定感が低かった時の話を書きましたが、「じゃあどうやって今のように(あっけらかんな私にw)なったのか」って聞かれます。
改めて思いだいして、書いておきますね。
(1)やっと「気づいた」
自己肯定感が低い状態が普通になっていた私。それを、「笑顔だけど実は殻にこもっている」ことに気がついてくれた恩師がいました。ありがたいことに、そこから引っ張りだそうとしてくれたんです。
まるでシャワーのように浴びせられる褒め言葉。承認の嵐。そして、当時の私には信じられないくらい、毎日を楽しそうに生きている生き方そのもの。
正直最初は戸惑いました。
でもそこでやっと気がついたんです。「あれ?私、もしかして何か変?」って。
正直、『殻にこもる』『自分を見下す』のがあまりにも普通になりすぎて、気づいてもなかったんですね。
【この時点での抜け出しレベル 20%】
でも「気づいたこと」というのは、すごく大きな一歩でした。
(2)いろいろ学び始めた
何か変だ、変えられるものならどうにかしたい、という思いが出てきた頃。
でも自分を変えるというのはすごくハードルが高くて、まずはかたっぱしから目についたものを学んでみることにしました。
心理学、自己啓発、カウンセリングなどなど。少しずつ心の仕組みを理解して、少しずつ自分と向き合っていくうちに、なんとか少しは気持ちの切り替えができるような気になってきました。
【この時点の抜け出しレベル40%】
(3)行動してみた
「知ってる」ことと「できる」ことは違うんですね。なので、まずは学んだことをもとにいろいろなワークをしてみました。
最初は、「幸せになりたい」なんて思う自分をおこがましいと責める自分も相変わらずいたり…。
でも、少しずつ少しずつ、自分の気持ちが変わるのを感じました。考え方はただの癖。今までの考え方がいやなら、新しい癖をつければいい。
そして、ご褒美のような瞬間がやってきたんです。
確か、仕事で知覧の特攻基地跡の近くを通っていた時。まるで天啓のように、やっと、やっとのことで、心の底から思えました。
「あぁ、私も幸せになっていいんだ」って。
すごく「当たり前」で、とても「今更」なこと。でも、この「当たり前」の気持ちを持つまで、私は20年以上かかってしまいまいた。
まるで閉ざされてたドアが開いたような、一気に花が咲いたような、そんな気分でした。
これはみんなにある「瞬間」ではないようです。いろいろな人と接していると、じんわり変化する人の方が多い印象ですね。
でも、じわじわとでも、「考え方の癖」は変えられると私は確信してます。
【この時点での抜け出しレベル80%】
(4)そして自分の人生を楽しむことに
「幸せになっていいんだ」「そうなるようにできるんだ」って心から思うようになってから、いろんなことが変わりました。
やっと好きな人もできましたし、いろんな人に心を許せるようにもなりました。理解ができなかった母も、心から笑いあうことができるようになって、結婚して子どももできました。
まぁただ、自分の土台ができて落ち込むことがなくなったかというと、そういうわけじゃありません。
だめだったところがなくなって、完璧な自分になったかというと、全くそうでもありません。
でも、私にもいいところはあるし、他の人にもいいところがあるし、それをもっと輝かせることができるという、確信ができました。
すれ違う人の可能性が本当に光って見えるようで、一人泣けたこともあります(怪しい人だ)。
自分の強みを知って、他の人と分かち合いたくなりました。自分の弱みも知って、それでも認められるようになりました。だから、失敗することが、それほど怖くなくなりました。
自分の土台ができたことで、8割方幸せになりましたが、それを人と分かち合えるようになったことで、「私の100%」になったと思っています。
私はかなり遠回りしてしまったけれど、同じように悩んでいる人や、乗り越えたいと思っている人はたくさんいると思っています。
そして、そういう人達は、それぞれが持っている可能性に蓋をしてしまっているってことも、私は体感として、知ってるんです。
だから、沢山の人達が歩き出せるようにする、お手伝いがしたいと思っています。
きっとそれは、あの頃の自分に感謝を伝えることでもあると思ってます。
こんにちは。中見真琴です。自己肯定感が低かった時の話を書きましたが、「じゃあどうやって今のように(あっけらかんな私にw)なったのか」って聞かれます。
改めて思いだいして、書いておきますね。
(1)やっと「気づいた」
自己肯定感が低い状態が普通になっていた私。それを、「笑顔だけど実は殻にこもっている」ことに気がついてくれた恩師がいました。ありがたいことに、そこから引っ張りだそうとしてくれたんです。
まるでシャワーのように浴びせられる褒め言葉。承認の嵐。そして、当時の私には信じられないくらい、毎日を楽しそうに生きている生き方そのもの。
正直最初は戸惑いました。
でもそこでやっと気がついたんです。「あれ?私、もしかして何か変?」って。
正直、『殻にこもる』『自分を見下す』のがあまりにも普通になりすぎて、気づいてもなかったんですね。
【この時点での抜け出しレベル 20%】
でも「気づいたこと」というのは、すごく大きな一歩でした。
(2)いろいろ学び始めた
何か変だ、変えられるものならどうにかしたい、という思いが出てきた頃。
でも自分を変えるというのはすごくハードルが高くて、まずはかたっぱしから目についたものを学んでみることにしました。
心理学、自己啓発、カウンセリングなどなど。少しずつ心の仕組みを理解して、少しずつ自分と向き合っていくうちに、なんとか少しは気持ちの切り替えができるような気になってきました。
【この時点の抜け出しレベル40%】
(3)行動してみた
「知ってる」ことと「できる」ことは違うんですね。なので、まずは学んだことをもとにいろいろなワークをしてみました。
最初は、「幸せになりたい」なんて思う自分をおこがましいと責める自分も相変わらずいたり…。
でも、少しずつ少しずつ、自分の気持ちが変わるのを感じました。考え方はただの癖。今までの考え方がいやなら、新しい癖をつければいい。
そして、ご褒美のような瞬間がやってきたんです。
確か、仕事で知覧の特攻基地跡の近くを通っていた時。まるで天啓のように、やっと、やっとのことで、心の底から思えました。
「あぁ、私も幸せになっていいんだ」って。
すごく「当たり前」で、とても「今更」なこと。でも、この「当たり前」の気持ちを持つまで、私は20年以上かかってしまいまいた。
まるで閉ざされてたドアが開いたような、一気に花が咲いたような、そんな気分でした。
これはみんなにある「瞬間」ではないようです。いろいろな人と接していると、じんわり変化する人の方が多い印象ですね。
でも、じわじわとでも、「考え方の癖」は変えられると私は確信してます。
【この時点での抜け出しレベル80%】
(4)そして自分の人生を楽しむことに
「幸せになっていいんだ」「そうなるようにできるんだ」って心から思うようになってから、いろんなことが変わりました。
やっと好きな人もできましたし、いろんな人に心を許せるようにもなりました。理解ができなかった母も、心から笑いあうことができるようになって、結婚して子どももできました。
まぁただ、自分の土台ができて落ち込むことがなくなったかというと、そういうわけじゃありません。
だめだったところがなくなって、完璧な自分になったかというと、全くそうでもありません。
でも、私にもいいところはあるし、他の人にもいいところがあるし、それをもっと輝かせることができるという、確信ができました。
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私はかなり遠回りしてしまったけれど、同じように悩んでいる人や、乗り越えたいと思っている人はたくさんいると思っています。
そして、そういう人達は、それぞれが持っている可能性に蓋をしてしまっているってことも、私は体感として、知ってるんです。
だから、沢山の人達が歩き出せるようにする、お手伝いがしたいと思っています。
きっとそれは、あの頃の自分に感謝を伝えることでもあると思ってます。
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2014年09月26日
自己肯定感が低いとどうなるの?(実体験から)
●自己肯定感が低いとどうなるの?(実体験から)
昔の私は、本当に自己肯定感が低い人間でした。
そして今、あの頃とは比べ物にならないくらい、毎日を楽しく生きています。
自己肯定感が低い人はどうなってしまいがちなのか、実体験とともにお伝えしてみます。
…長いです。お気をつけください~。

■自分自身が嫌い。信じられない。
誰よりも、自分自身が大嫌い。こんなにチビで変な声で、頭も悪いし性格も悪い。欠点だらけでみんなよりずっと劣っているので、生きている価値がない。…なんて考えになりました。
■自分以外の人も嫌い。信じられない
こんなに苦しい自分を助けてくれない周囲が嫌い。
こんなダメな自分に優しくするなんて、下心があるに違いないから嫌い。
…んー、なかなかに救い難い考え方…(笑)
■人と仲良くできない。
「こんな私」だから、嫌われるのが当たり前。だけどそれじゃ存在すら危ういから、せめて人から嫌われないようにしなければ。
「どうしたら一緒に楽しめるか」という考えにはなれず、卑屈に「相手から嫌われない方法」だけを考え続けて自分がどんどんなくなりました。(逆にそういう人って、好かれるわけがないんですよね)
私は「自分を抑える」方にいきましたが、「相手を貶めて、自分が偉くなったようにする」人や、「誰かに評価されないと自分に価値が見いだせなくて、人からの評価がものすごく気になる」人もいます。
■頑張れない・行動が起こせない
頑張ろうという気持ちにはなれませんでした。だってどうせ「こんな私」が成功するわけないんだから。
失敗する気しかしないから、動かない方がいい。今も苦しいけど、行動したらもっと大変になるかもしれない。もし失敗したら、もう生きていけないかもしれないから。ひたすら怖かったんです。
■誰かに助けが求められない
いじめを受けても、悩みがあっても、誰かに助けを求めることができません。だって「こんな私」だから、そんな目にあっても当たり前。それに、助けてもらえるとは限らない。
もし「助けて」と言ってそれをはねのけられてしまったら、もう立ち直れないんです。だってもう、気持ちとしてはギリギリだから。だから、自分の中でどうにか押し殺さなければ…。
■どうにかして消える方法を考える
死ぬことも考えたし、不良になることも考えました。死ぬのは勇気が出ず、不良化はあまりにも似合わなかったからやめたけど。(チビでアニメ声の不良は、ギャグにしかならない…)
でも、そういう「抵抗」すらもできなくなった時、自分の存在がどうやったら「消えてなくなる」のかをずっとずっと考えてました。
■悪いことばかり考える
「考え方次第」とか「いい方向に考えて」というような言葉が耳に入らなかったわけではありません。ただ、自分の目に映るものは全て、「私がダメな証拠」ばかりでした。
テストの点数が良ければ「たまたま」と思い、悪ければ「これが実力」。
いいことがあったら「次に悪いことがあるかもしれない」と思い、悪いことが起これば「あぁやっぱり」
しまいには、目の前で信号が赤に変わることも、「私が世の中に疎まれている理由」ということに(笑)。
■人の意見に左右されまくる
自分はダメだと思ってるから、人に言われることにいつも左右されます。
でも人によって言うことは違ってくるので、いつも戸惑うし、「誰に合わせればいいのか」がわからなくて、また自信がなくなります。
OKをもらえている自分なら認められますが、評価されてない時はいつも「これでいいのかな」と不安になってました。
そういや私は制服を「着崩す」ことができなかったんです。「適度に標準からはずれる」ことが、何より難しかった。
生徒手帳に載っているような「望まれる生徒像」を実践する方が、安心できていました。
■不条理な噛み付き方をはじめる
これは私が一番恥じているところなんですが…。
自分は自信がないくせに、「言っても怒らない」という人には無茶苦茶な批判をする、というようなことがありました。
特に父に対して。お酒を飲んで気持よく話している父を論破して、「大人よりちゃんと出来る自分」なんだと思い込もうとしてました。
父が言い返してこないことを知っているからこそ、というのはとても卑怯だったと思います。しかもその頃、私は父を下に見ようとしていました。
こういうことは本当によくあることのようです。あちこちで「人を攻撃することで溜飲を下げる人達」を見るたびに、あの頃の自分を思い出したりします。
■恋愛なんてできない
年頃の女の子なりに、恋愛に興味はあるけど恋ができるわけがない、って状態でした。
好きになってもどうせふられるもの。逆に嫌がられたら嫌だもの。自分を磨いて変われる人はいいけど、どうせ私じゃ無理でしょ。
でもなんだか言い寄ってくれる人がいて、なんとなく流されてみたこともありました。ただ、「好きだ」とは言われたけど実は4股で(笑)、何もないまま「付き合ってとは言ってないよね?」と言われて終了。
その時はただ、悲しくもならず、「あぁやっぱり」としか思えなかったなぁ。
■そして笑顔の鎧を身につけた
そのままの自分では、生きてる価値もないし、存在してはいけない。せめて「そこにいても嫌がられないように」するため、ひたすらニコニコしてました。
そして、一時期『感情』がものすごく減りました。ニコニコしてるけど楽しくないし、嬉しくない。悲しくもないし、腹も立たない。一種の逃避行動だったんでしょうね。
でも周りに合わせなきゃいけないから、周りが悲しんでるのを見ては悲しい顔をして、怒ってるのを見ては一緒に怒るフリをしてました。
…あぁ書いていて息苦しい(苦笑)。よく生きてたなぁ。
「絶対に、大事にされてない」
「絶対に、愛される価値がない」
「絶対に、私は幸せになれない」。
自分には自信がないくせに、この意識だけは『絶対』と思い込んでいたんです。
じゃあ「どうやって変わったの?」というところがあると思いますが、長くなったので次の記事で。
昔の私は、本当に自己肯定感が低い人間でした。
そして今、あの頃とは比べ物にならないくらい、毎日を楽しく生きています。
自己肯定感が低い人はどうなってしまいがちなのか、実体験とともにお伝えしてみます。
…長いです。お気をつけください~。

■自分自身が嫌い。信じられない。
誰よりも、自分自身が大嫌い。こんなにチビで変な声で、頭も悪いし性格も悪い。欠点だらけでみんなよりずっと劣っているので、生きている価値がない。…なんて考えになりました。
■自分以外の人も嫌い。信じられない
こんなに苦しい自分を助けてくれない周囲が嫌い。
こんなダメな自分に優しくするなんて、下心があるに違いないから嫌い。
…んー、なかなかに救い難い考え方…(笑)
■人と仲良くできない。
「こんな私」だから、嫌われるのが当たり前。だけどそれじゃ存在すら危ういから、せめて人から嫌われないようにしなければ。
「どうしたら一緒に楽しめるか」という考えにはなれず、卑屈に「相手から嫌われない方法」だけを考え続けて自分がどんどんなくなりました。(逆にそういう人って、好かれるわけがないんですよね)
私は「自分を抑える」方にいきましたが、「相手を貶めて、自分が偉くなったようにする」人や、「誰かに評価されないと自分に価値が見いだせなくて、人からの評価がものすごく気になる」人もいます。
■頑張れない・行動が起こせない
頑張ろうという気持ちにはなれませんでした。だってどうせ「こんな私」が成功するわけないんだから。
失敗する気しかしないから、動かない方がいい。今も苦しいけど、行動したらもっと大変になるかもしれない。もし失敗したら、もう生きていけないかもしれないから。ひたすら怖かったんです。
■誰かに助けが求められない
いじめを受けても、悩みがあっても、誰かに助けを求めることができません。だって「こんな私」だから、そんな目にあっても当たり前。それに、助けてもらえるとは限らない。
もし「助けて」と言ってそれをはねのけられてしまったら、もう立ち直れないんです。だってもう、気持ちとしてはギリギリだから。だから、自分の中でどうにか押し殺さなければ…。
■どうにかして消える方法を考える
死ぬことも考えたし、不良になることも考えました。死ぬのは勇気が出ず、不良化はあまりにも似合わなかったからやめたけど。(チビでアニメ声の不良は、ギャグにしかならない…)
でも、そういう「抵抗」すらもできなくなった時、自分の存在がどうやったら「消えてなくなる」のかをずっとずっと考えてました。
■悪いことばかり考える
「考え方次第」とか「いい方向に考えて」というような言葉が耳に入らなかったわけではありません。ただ、自分の目に映るものは全て、「私がダメな証拠」ばかりでした。
テストの点数が良ければ「たまたま」と思い、悪ければ「これが実力」。
いいことがあったら「次に悪いことがあるかもしれない」と思い、悪いことが起これば「あぁやっぱり」
しまいには、目の前で信号が赤に変わることも、「私が世の中に疎まれている理由」ということに(笑)。
■人の意見に左右されまくる
自分はダメだと思ってるから、人に言われることにいつも左右されます。
でも人によって言うことは違ってくるので、いつも戸惑うし、「誰に合わせればいいのか」がわからなくて、また自信がなくなります。
OKをもらえている自分なら認められますが、評価されてない時はいつも「これでいいのかな」と不安になってました。
そういや私は制服を「着崩す」ことができなかったんです。「適度に標準からはずれる」ことが、何より難しかった。
生徒手帳に載っているような「望まれる生徒像」を実践する方が、安心できていました。
■不条理な噛み付き方をはじめる
これは私が一番恥じているところなんですが…。
自分は自信がないくせに、「言っても怒らない」という人には無茶苦茶な批判をする、というようなことがありました。
特に父に対して。お酒を飲んで気持よく話している父を論破して、「大人よりちゃんと出来る自分」なんだと思い込もうとしてました。
父が言い返してこないことを知っているからこそ、というのはとても卑怯だったと思います。しかもその頃、私は父を下に見ようとしていました。
こういうことは本当によくあることのようです。あちこちで「人を攻撃することで溜飲を下げる人達」を見るたびに、あの頃の自分を思い出したりします。
■恋愛なんてできない
年頃の女の子なりに、恋愛に興味はあるけど恋ができるわけがない、って状態でした。
好きになってもどうせふられるもの。逆に嫌がられたら嫌だもの。自分を磨いて変われる人はいいけど、どうせ私じゃ無理でしょ。
でもなんだか言い寄ってくれる人がいて、なんとなく流されてみたこともありました。ただ、「好きだ」とは言われたけど実は4股で(笑)、何もないまま「付き合ってとは言ってないよね?」と言われて終了。
その時はただ、悲しくもならず、「あぁやっぱり」としか思えなかったなぁ。
■そして笑顔の鎧を身につけた
そのままの自分では、生きてる価値もないし、存在してはいけない。せめて「そこにいても嫌がられないように」するため、ひたすらニコニコしてました。
そして、一時期『感情』がものすごく減りました。ニコニコしてるけど楽しくないし、嬉しくない。悲しくもないし、腹も立たない。一種の逃避行動だったんでしょうね。
でも周りに合わせなきゃいけないから、周りが悲しんでるのを見ては悲しい顔をして、怒ってるのを見ては一緒に怒るフリをしてました。
…あぁ書いていて息苦しい(苦笑)。よく生きてたなぁ。
「絶対に、大事にされてない」
「絶対に、愛される価値がない」
「絶対に、私は幸せになれない」。
自分には自信がないくせに、この意識だけは『絶対』と思い込んでいたんです。
じゃあ「どうやって変わったの?」というところがあると思いますが、長くなったので次の記事で。