♪ご訪問いただき、ありがとうございます♪
このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
(別ブログに飛びます)
2009年07月11日
看護学生時代のお話その2
先ほどの日記の続きです。

看護学生時代のてんやわんやを
振り返ってます。
3週間目。
患者さんは、私を気に入ってくださって、
今度は手放してくれなくなりました(笑)。
一日中、病室から出られません。
看護の技術を学ぶための時間
(体を拭いたり、他の患者さんの洗髪をしたり)
離れるのが一苦労でした。
一日中、マッサージをしながらお話。
実習時間が終了したら、
大慌てでカルテ確認。
一日中、マッサージを続けていたせいで
帰りのバスは、腕が上がらなくなってました。
そして、実習最終週。
カルテの確認をして、目を見張りました。
痛み止めのモルヒネが、減っている。
つまり、痛みの訴えがものすごく減っていたんです。
そういえば、笑っていることがものすごく増えた。
少なくとも、私がいる間は痛みでうなっていることがない。
私に気を使っているかとも思いました。
でも、そうではないと、患者さんは笑いました。
もしかしたら、病状がよくなっているのかと期待しました。
それは、残念ながら、儚い期待でした。
実習最後の日。
患者さんと私、そして奥様の3人で、
泣きながらお話をして、別れました。
実習から開放されること、
激しい腕の痛みから開放されることは
なんだか、寂しいことになっていました。
実習が終わったことで、
今度は卒論と、看護師試験に全力を出すことになります。
卒論は、毎日大量の文献と戦い、
私は全学生の代表になっていました。
でも、そのことを誇らしいと思う間もなく、
ある日、家の電話が鳴りました。
あの患者さんの、奥様から。
「本当に、ありがとうございました。
あの人ね、だめでした」
静かに、奥様が伝えてくれました。
私の実習が終わった数週間後、
患者さんは、静かに息を引き取られたそうです。
「あなたが担当してくれて良かった」と
奥様は言ってくれました。
人生の最後に、とてもラッキーな出来事だったと。
あんなに笑うようになって、
あんなに穏やかに亡くなったのは、
私も信じられない、とおっしゃっていました。
その言葉は、
嬉しいと思えばいいのか、
悲しいと思えばいいのか、
実はよく、わかりませんでした。
ただただ、強い感謝のみ。
1年にわたる、長い看護実習の最後で、
あの患者さんの最期にかかわれたことは、
私にとって、本当にありがたいことだったと思います。
私は結局、看護師にはなりませんでした。
それはそれで、理由があるんですけども。
でも多分、この経験は、
一生私を支えてくれるんじゃないかと思うほどの
思い入れの強い体験です。

看護学生時代のてんやわんやを
振り返ってます。
3週間目。
患者さんは、私を気に入ってくださって、
今度は手放してくれなくなりました(笑)。
一日中、病室から出られません。
看護の技術を学ぶための時間
(体を拭いたり、他の患者さんの洗髪をしたり)
離れるのが一苦労でした。
一日中、マッサージをしながらお話。
実習時間が終了したら、
大慌てでカルテ確認。
一日中、マッサージを続けていたせいで
帰りのバスは、腕が上がらなくなってました。
そして、実習最終週。
カルテの確認をして、目を見張りました。
痛み止めのモルヒネが、減っている。
つまり、痛みの訴えがものすごく減っていたんです。
そういえば、笑っていることがものすごく増えた。
少なくとも、私がいる間は痛みでうなっていることがない。
私に気を使っているかとも思いました。
でも、そうではないと、患者さんは笑いました。
もしかしたら、病状がよくなっているのかと期待しました。
それは、残念ながら、儚い期待でした。
実習最後の日。
患者さんと私、そして奥様の3人で、
泣きながらお話をして、別れました。
実習から開放されること、
激しい腕の痛みから開放されることは
なんだか、寂しいことになっていました。
実習が終わったことで、
今度は卒論と、看護師試験に全力を出すことになります。
卒論は、毎日大量の文献と戦い、
私は全学生の代表になっていました。
でも、そのことを誇らしいと思う間もなく、
ある日、家の電話が鳴りました。
あの患者さんの、奥様から。
「本当に、ありがとうございました。
あの人ね、だめでした」
静かに、奥様が伝えてくれました。
私の実習が終わった数週間後、
患者さんは、静かに息を引き取られたそうです。
「あなたが担当してくれて良かった」と
奥様は言ってくれました。
人生の最後に、とてもラッキーな出来事だったと。
あんなに笑うようになって、
あんなに穏やかに亡くなったのは、
私も信じられない、とおっしゃっていました。
その言葉は、
嬉しいと思えばいいのか、
悲しいと思えばいいのか、
実はよく、わかりませんでした。
ただただ、強い感謝のみ。
1年にわたる、長い看護実習の最後で、
あの患者さんの最期にかかわれたことは、
私にとって、本当にありがたいことだったと思います。
私は結局、看護師にはなりませんでした。
それはそれで、理由があるんですけども。
でも多分、この経験は、
一生私を支えてくれるんじゃないかと思うほどの
思い入れの強い体験です。
2009年07月11日
看護学生時代のお話
昨日書いた、卒論のお話。
書きながら、いろんなことを思い出しました。
なので、この週末は、
私の看護学生時代のお話なんか。
卒論のテーマは、
昨日書いたとおり、「痛みとマッサージの関連性」
でした。
すごく軽い気持ちで(いや、真面目ではあったんだけど)決めたので、
それがどれほど大変なことなのか、
気づいてなかったんです。最初は。
希望通り、担当したのは、
肺がんの、末期の患者さんでした。
肺はもう、半分機能せず、
息苦しさと、
全身へ癌が転移したことによる痛み、
「もう先はない」という思いから、
痛みだけではく、
怒り、苦しみ、やるせなさを
強く抱えている患者さんでした。
奥様も、病室に入れず、
夜は自分で点滴を引き抜いて、
血まみれになりながら、
他の病棟を歩き回っているという話でした。
お年寄りにはとても気に入ってもらえることが多くて、
今までの実習で、苦労したことがなかった私。
(患者さん相手には)
最後の実習で、
私は初めての試練を迎えることになったのでした。

まず、病室に入れない。
奥様でも追い返されてるのに、
半人前の看護学生なんて、とんでもない。
マッサージどころか、そばに行けません。
なんとかそばに行っても、
触らせてもらうこともできない。
実習期間は4週間。
卒論のことを考えて、
自分でも色々計画をたてては行ったのですが、
まずは信頼関係から躓いてしまって、
最初の1週間は、
ナースステーションでカルテを調べたりすることで、
一日のほとんどが終わっていました。
2週間目も終わりの頃。
少しずつ、そばにいさせてくれることを許してくれて、
少しだけ、足のマッサージをさせてくれるようになりました。
冷たく、黒くなってしまった足。
触ることで痛みはないけれども、
それで、何が変わるわけでもない。
でも、看護学生だった私は必死でした。
いつのまにか卒論のことは、
二の次になっていました。
マッサージをしながら、コミュニケーションをとりたい。
話しかけても全然相手をしてくれなかった患者さんが、
だんだん、ぽつりぽつりと話してくれるようになりました。
若い頃のこと、
自分の病気のこと、
痛みのこと。
痛みは普通の痛み止めで止められるレベルではなく、
普段から強い鎮痛剤を使い、
痛みがひどくなってきたら、モルヒネを使うようにしていました。
それでも痛くて、うなっていることが何度も。
なんとかならないのかと、
力のない自分が、辛くてたまりませんでした。
長くなるので、わけます。
書きながら、いろんなことを思い出しました。
なので、この週末は、
私の看護学生時代のお話なんか。
卒論のテーマは、
昨日書いたとおり、「痛みとマッサージの関連性」
でした。
すごく軽い気持ちで(いや、真面目ではあったんだけど)決めたので、
それがどれほど大変なことなのか、
気づいてなかったんです。最初は。
希望通り、担当したのは、
肺がんの、末期の患者さんでした。
肺はもう、半分機能せず、
息苦しさと、
全身へ癌が転移したことによる痛み、
「もう先はない」という思いから、
痛みだけではく、
怒り、苦しみ、やるせなさを
強く抱えている患者さんでした。
奥様も、病室に入れず、
夜は自分で点滴を引き抜いて、
血まみれになりながら、
他の病棟を歩き回っているという話でした。
お年寄りにはとても気に入ってもらえることが多くて、
今までの実習で、苦労したことがなかった私。
(患者さん相手には)
最後の実習で、
私は初めての試練を迎えることになったのでした。

まず、病室に入れない。
奥様でも追い返されてるのに、
半人前の看護学生なんて、とんでもない。
マッサージどころか、そばに行けません。
なんとかそばに行っても、
触らせてもらうこともできない。
実習期間は4週間。
卒論のことを考えて、
自分でも色々計画をたてては行ったのですが、
まずは信頼関係から躓いてしまって、
最初の1週間は、
ナースステーションでカルテを調べたりすることで、
一日のほとんどが終わっていました。
2週間目も終わりの頃。
少しずつ、そばにいさせてくれることを許してくれて、
少しだけ、足のマッサージをさせてくれるようになりました。
冷たく、黒くなってしまった足。
触ることで痛みはないけれども、
それで、何が変わるわけでもない。
でも、看護学生だった私は必死でした。
いつのまにか卒論のことは、
二の次になっていました。
マッサージをしながら、コミュニケーションをとりたい。
話しかけても全然相手をしてくれなかった患者さんが、
だんだん、ぽつりぽつりと話してくれるようになりました。
若い頃のこと、
自分の病気のこと、
痛みのこと。
痛みは普通の痛み止めで止められるレベルではなく、
普段から強い鎮痛剤を使い、
痛みがひどくなってきたら、モルヒネを使うようにしていました。
それでも痛くて、うなっていることが何度も。
なんとかならないのかと、
力のない自分が、辛くてたまりませんでした。
長くなるので、わけます。
2009年07月11日
暑いから…
最近、夜がめちゃくちゃ暑いですよね。鹿児島地方。
娘が夜に起きて、「暑い…暑い…」とうめくので
困ってます。
で、途中でクーラーや扇風機を稼動させるわけですが。
最近、朝起きると、
娘が必ず
片方の肩を出しているので、毎回驚くんです。

寝ている間に無意識に。
器用だなぁ。
「○山の金さん」と
「原始人」で、
娘の呼び名の意見が分かれています。
(私と夫で)
娘が夜に起きて、「暑い…暑い…」とうめくので
困ってます。
で、途中でクーラーや扇風機を稼動させるわけですが。
最近、朝起きると、
娘が必ず
片方の肩を出しているので、毎回驚くんです。

寝ている間に無意識に。
器用だなぁ。
「○山の金さん」と
「原始人」で、
娘の呼び名の意見が分かれています。
(私と夫で)