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このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
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2009年07月03日
自分の隠れた思い込み
先ほどの日記からさらに事例を出してみようと思って、
腹が立ったときのことを思い出してみました。
娘の「魔の2歳児」の時。
あれも嫌、これも嫌、
言ったとおりにしても嫌、
言ったとおりにしなかったらもっと嫌、
嫌嫌嫌~!の娘に、
「もう、どうしたいの!」と
車の中で叫んでみたことがありました。
さて、ここの第一感情。
「娘のことがわからない、失望感」
「なめられてるんじゃないかという、悔しさ」
「親としてちゃんとできているかどうかの不安感」
「周りの目が気になる、自分のエゴ」
そしてもう一つ。
「自分は小さい頃我慢していたのに、
どうしてあなたは我慢しないんだ」
というのが、ちょっぴりありました。

昔の私は、本当に「いい子」だったんです。
ある意味「悪い方向」に。
わがままを言わない。
親の言うことをよく聞く。
親の顔色をうかがいながら、
親が自分を愛してくれるように、一生懸命でした。
(前も書きましたけど)
そんな「自分は我慢してたのだから、
我慢できないのはわがままだ」という思いが昔は強くって、
実は昔、自由な子どもが大嫌いでした。
(今はみんな信じてくれないけれど)
そのあたりが、まだちょっと残っていたんですね。
そこにふっと気づけたから、
「子どもは自由で当然」
「っていうか、我慢してたのは辛かったし、
いい方向に行ったわけじゃない」
そう思えて、
怒りではなく、「魔の2歳児対策」に
乗り出すことができたんだと思います。
自分が我慢していることを
他の人が当然のようにやっているのを見ると、
怒りがわいてくることが結構あります。
第一感情は、「羨望」なのかな。
子どもはかわいいのに、
いざ子どもが幸せになっていくのを見ると
邪魔したくなる、ということもあると聞きますね。
(自分が結婚に失敗したと思っていて、
娘が素敵な結婚をしようとすると、
なんだか嫌な感じで対応する母親だとか)
でも多分、親自身は気づいてない。
それって、お互いに不幸だと思います。
そんな「隠れた第一感情」を見つけられたら、
後はそれを、解消するだけ。
解消する方向に動けばいいんですから、
先に進めると思います。
(とはいえ、
自分の黒い感情に気づくと
ちょっと、ショックを受けたりしましたけどね、私・笑)
腹が立ったときのことを思い出してみました。
娘の「魔の2歳児」の時。
あれも嫌、これも嫌、
言ったとおりにしても嫌、
言ったとおりにしなかったらもっと嫌、
嫌嫌嫌~!の娘に、
「もう、どうしたいの!」と
車の中で叫んでみたことがありました。
さて、ここの第一感情。
「娘のことがわからない、失望感」
「なめられてるんじゃないかという、悔しさ」
「親としてちゃんとできているかどうかの不安感」
「周りの目が気になる、自分のエゴ」
そしてもう一つ。
「自分は小さい頃我慢していたのに、
どうしてあなたは我慢しないんだ」
というのが、ちょっぴりありました。

昔の私は、本当に「いい子」だったんです。
ある意味「悪い方向」に。
わがままを言わない。
親の言うことをよく聞く。
親の顔色をうかがいながら、
親が自分を愛してくれるように、一生懸命でした。
(前も書きましたけど)
そんな「自分は我慢してたのだから、
我慢できないのはわがままだ」という思いが昔は強くって、
実は昔、自由な子どもが大嫌いでした。
(今はみんな信じてくれないけれど)
そのあたりが、まだちょっと残っていたんですね。
そこにふっと気づけたから、
「子どもは自由で当然」
「っていうか、我慢してたのは辛かったし、
いい方向に行ったわけじゃない」
そう思えて、
怒りではなく、「魔の2歳児対策」に
乗り出すことができたんだと思います。
自分が我慢していることを
他の人が当然のようにやっているのを見ると、
怒りがわいてくることが結構あります。
第一感情は、「羨望」なのかな。
子どもはかわいいのに、
いざ子どもが幸せになっていくのを見ると
邪魔したくなる、ということもあると聞きますね。
(自分が結婚に失敗したと思っていて、
娘が素敵な結婚をしようとすると、
なんだか嫌な感じで対応する母親だとか)
でも多分、親自身は気づいてない。
それって、お互いに不幸だと思います。
そんな「隠れた第一感情」を見つけられたら、
後はそれを、解消するだけ。
解消する方向に動けばいいんですから、
先に進めると思います。
(とはいえ、
自分の黒い感情に気づくと
ちょっと、ショックを受けたりしましたけどね、私・笑)
2009年07月03日
怒ってしまう原因
昨日の「アイメッセージ」の続きです。
コメントで、ばばっちょさんにこんな言葉をいただきました。
心がけています。
・・・が!ずーっとブツブツ言いそうになったり、
親業は「子どもの行動を受け入れて→Iメッセージ」というプロセスがあるのですが、
そのプロセスにイライラしたり・・・^^;
修行が足りない自分を感じます。
ストレスをためないIメッセージなのにな(´・ω・`)
そうよねそうよね~!と
すっごく思ってしまいました。
ということで、昨日の続き。
怒りの感情は、人間としてあるべきものだと思います。
一時期私は、感情を感じなくなって、
(感情を感じていないと、「自分に思い込ませて」かもしれない)
なんかものすご~く、
自分が何者ともつながってない感覚に陥ったことがありました。
感情を感じない、というのに一番簡単な方法は、
外からの刺激を遮断すること、
自分を閉じちゃうことですものね。
「怒りを感じずに、子どもに接する」というのは
その言葉だけを頼りに、そのとおりにしようとするのって
かなり難しいんじゃないかと思うんです。
「怒りは第2感情」という言葉があります。
実は、怒りは「第1感情」という他の感情があって、
それが伝えられない、満たされないときに、感じるものらしいんです。

この「第1感情」は色々あって、
「期待」だったり、「悲しさ」だったり、
「寂しさ」「満たされない感じ」その他もろもろ。
例えば、「子どもが言うことを聞かない」。
ここに、
『子どもは、いうことを聞いてくれると思っていた』(期待)なのに
期待がはずれた
ということから怒りにつながったり、
『子どもに言うことを聞かせることができない
私はダメな母親だ』(満たされない感じ)
から、
怒りにつながったり。
この「第一感情」のほうをアイメッセージで伝えるというのが、
怒りにつながらないポイントでもある、ということです。
昨日のアイメッセージでもちょっと書きましたが、
「電話してくれたら、私も心配しなくてすむんだけど」
これって、
旦那様が、電話もなしに帰りが遅い。
↓
心配だ(第一感情)
↓
心配していると腹が立ってきた(第二感情)
これの、「第一感情側」を伝える、ということですものね。
もちろん、第一感情にも個人差があって、
「電話がないと、私はほったらかされてるような気分になって、
自分が要らない人間なんじゃないかと思ってしまう」
という場合もあります。
…というか、私のパターンはこれです(苦笑)
自分の思っている第一感情や、
「こうあるべき」という思い込みを
探って、気づいてみると
結構気が楽になるんじゃないかと思います。
「子どもはこうあるべき」とか
「こんなことしたら周りに○○だと思われる」とか
「こんなことされたら、私が大変」とかね。
まぁ個人的には、
意識して怒りをコントロールするばかりじゃなくて、
怒りにまかせて怒ってしまうことも、
本当は必要じゃないかと思ったりしているんですけども。
そりゃもちろん、いつもそうだったら困るけどさ。
子どもだって
「こんなことしたら、お母さんは本気でめちゃくちゃ怒る」
「大人だって、めちゃくちゃ怒ってくることはある」
「理不尽な事だってある」
ってことを
知る必要は、あるんじゃないかしらって思うんですけど、
どうでしょう?
(って、無責任かなぁ)
コメントで、ばばっちょさんにこんな言葉をいただきました。
心がけています。
・・・が!ずーっとブツブツ言いそうになったり、
親業は「子どもの行動を受け入れて→Iメッセージ」というプロセスがあるのですが、
そのプロセスにイライラしたり・・・^^;
修行が足りない自分を感じます。
ストレスをためないIメッセージなのにな(´・ω・`)
そうよねそうよね~!と
すっごく思ってしまいました。
ということで、昨日の続き。
怒りの感情は、人間としてあるべきものだと思います。
一時期私は、感情を感じなくなって、
(感情を感じていないと、「自分に思い込ませて」かもしれない)
なんかものすご~く、
自分が何者ともつながってない感覚に陥ったことがありました。
感情を感じない、というのに一番簡単な方法は、
外からの刺激を遮断すること、
自分を閉じちゃうことですものね。
「怒りを感じずに、子どもに接する」というのは
その言葉だけを頼りに、そのとおりにしようとするのって
かなり難しいんじゃないかと思うんです。
「怒りは第2感情」という言葉があります。
実は、怒りは「第1感情」という他の感情があって、
それが伝えられない、満たされないときに、感じるものらしいんです。

この「第1感情」は色々あって、
「期待」だったり、「悲しさ」だったり、
「寂しさ」「満たされない感じ」その他もろもろ。
例えば、「子どもが言うことを聞かない」。
ここに、
『子どもは、いうことを聞いてくれると思っていた』(期待)なのに
期待がはずれた
ということから怒りにつながったり、
『子どもに言うことを聞かせることができない
私はダメな母親だ』(満たされない感じ)
から、
怒りにつながったり。
この「第一感情」のほうをアイメッセージで伝えるというのが、
怒りにつながらないポイントでもある、ということです。
昨日のアイメッセージでもちょっと書きましたが、
「電話してくれたら、私も心配しなくてすむんだけど」
これって、
旦那様が、電話もなしに帰りが遅い。
↓
心配だ(第一感情)
↓
心配していると腹が立ってきた(第二感情)
これの、「第一感情側」を伝える、ということですものね。
もちろん、第一感情にも個人差があって、
「電話がないと、私はほったらかされてるような気分になって、
自分が要らない人間なんじゃないかと思ってしまう」
という場合もあります。
…というか、私のパターンはこれです(苦笑)
自分の思っている第一感情や、
「こうあるべき」という思い込みを
探って、気づいてみると
結構気が楽になるんじゃないかと思います。
「子どもはこうあるべき」とか
「こんなことしたら周りに○○だと思われる」とか
「こんなことされたら、私が大変」とかね。
まぁ個人的には、
意識して怒りをコントロールするばかりじゃなくて、
怒りにまかせて怒ってしまうことも、
本当は必要じゃないかと思ったりしているんですけども。
そりゃもちろん、いつもそうだったら困るけどさ。
子どもだって
「こんなことしたら、お母さんは本気でめちゃくちゃ怒る」
「大人だって、めちゃくちゃ怒ってくることはある」
「理不尽な事だってある」
ってことを
知る必要は、あるんじゃないかしらって思うんですけど、
どうでしょう?
(って、無責任かなぁ)
タグ :育児
2009年07月03日
起きても心臓ドッキドキ
時々見る、心臓に悪い夢があります。
それは、受験の夢。
もう入試なんて、かなり昔の話になっているのに、
いまだに大学受験の夢を見る。
でも自分のレベルはそのまま認識しているので、
「どうやったらもう一度英単語覚えられるかな」
「勉強の計画はどうやってたてようかな」と
必死で考えるんですよね。
なので、毎回方法が違います。

今朝なんか、ついに「進研ゼミ」に手を出してた(笑)
私が受験を終える日は、いつなんだろう。
ちなみに、
「もう舞台の幕が開くベルが鳴ってるのに、
せりふを覚えきっていない」バージョンもあります(元演劇部)
それは、受験の夢。
もう入試なんて、かなり昔の話になっているのに、
いまだに大学受験の夢を見る。
でも自分のレベルはそのまま認識しているので、
「どうやったらもう一度英単語覚えられるかな」
「勉強の計画はどうやってたてようかな」と
必死で考えるんですよね。
なので、毎回方法が違います。

今朝なんか、ついに「進研ゼミ」に手を出してた(笑)
私が受験を終える日は、いつなんだろう。
ちなみに、
「もう舞台の幕が開くベルが鳴ってるのに、
せりふを覚えきっていない」バージョンもあります(元演劇部)