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このブログは、育児を通して幸せになるママを増やすために
色々な情報をお伝えしているブログ(ご近所向け)です。
初めての方は、こちらの記事をどうぞ
★親子のふれあいを通じてもっとママが楽しく育児ができること、
★そして
★自分に自信をもって成長していける子どもを育てることを目指し、
★おうちでしっかりベビマを学ぶ、1ヶ月講座を開催しています。
★詳しくはこちらの記事からご覧ください。
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2010年08月15日
子どもを褒めるとつけあがる?
終わるつもりでなかなか終わらない「褒めること」について。
も、もう終わりかな。多分。
子どもを褒めましょう、という話をすると、
特に年配の方に(笑)よく言われることがあったりします。
「子どもはガツンと言ってしつけないと、
つけあがるよ」という言葉。
これも、一理あると思います。
何をしても、
どんな悪いことをしても、
「あらあら~♪」なんて笑って見ていたら、
多分子どもは、好き勝手なことをすると思います。
だって、子どもだから(笑)。
相手の迷惑とか、
後の状況とか、
人からの評価とか、
そういうのを考えないのが子どもです。
(まぁ年齢による成長度合いもあるだろうけど)
例えば、周りの目を気にして、やりたいことを全くしない1歳児とかがいたら
逆に私は心配です。
でも、ですね。
ある程度大きくなって、自分の行動が客観視できるくらいに成長したとき、
子どもの行動を制御できるものは、何でしょうか?
部屋の中で走り回る子、
わがままを言う子、
いろんな問題行動をとる子、
それを止めるのは、
瞬発的には「親からの叱責」が有効だろうけど、
多分、親(=怒る人)がいなくなれば
また同じになるのは簡単に予想がつきます。
それを本当に止められるのは?
何より子ども本人の意思、
そして、
その意思を引き出すための自信でしかないと思うんです。
子どもは(というか、大人もだけど)
「こいつは本当に駄目だから」
「いつも騒がしくって仕方のないやつだから」
「相手の気持ちも考えられなくって…」
等々、
そんな目で見られて、そんな風に言われていたら、
「そういう風に育つ」
と言われています。
だって、それが「その人らしい」状態だと
回りも本人も思ってますから。
「駄目で」「騒がしくって」「相手の気持ちも考えない」
のが当たり前で、
その殻を破る必要がないんですよね。
自分なんて駄目駄目だから、
悪いことをしても当たり前~と思えば、悪いことをします。
もっといくと、
悪いことでもしなければ、人が自分を見てくれないとなると、
さらにエスカレートします。
(この辺はまた、別の話ですが)
それに歯止めをかけるのが、
褒められる、承認されることでできた、
「自分は自分のままで素敵」
というような自信だったり、
「自分も、一人の人間なんだから
しっかりしなきゃ」というようなことだったりするんだと思います。
エネルギーに満ち満ちていて、
じっとしていられないような子がいます。
その子に、「お前は乱暴だから」などというような叱責だけで育てて
そのエネルギーをなくすことに尽力すると、
もったいないと思います。
そのすごいエネルギーそのものを
「これはすごいものなんだ」と承認して、
じっとできないことが問題になるんだったら
周りのことも伝えて、自分なりにどうしたらいいのか考えさせたり、
それを上手に使えるように促してあげることはできるんじゃないでしょうか。
もしかしたら、
ものすごいスポーツ選手になるかもしれない。
(そうじゃなかったとしても、
大きな自信になるし、問題行動もなくなるはず)
おとなしくって、
周りのことをよく見ているような子がいます。
その子に
「あなたはグズだから」
「引っ込み思案でだめねぇ」なんて評価だけで育てても
逆に自信がなくなるだけで
積極的になることはまずないと思います。
その子自身をよくみたら、
行動の一つ一つがとっても丁寧だったり、
すごく聞き上手だったりすることも多いんです。
その素敵なところはきちんと伝えて
おとなしいことが問題になる場合だけ、いい方法を使えるようになれば、
それもまた、すばらしいことなんじゃないでしょうか。
みんながみんな、
リーダーになる必要なんかないわけですし。
(みんながリーダーだと、まとまるものもまとまらない)
ということで、私は
「子どもが我に返らせるため、というような
瞬発的なものとしては、『ガツンと言うこと』は必要。
でも、長期的、継続的なものとしては、
褒めや承認のほうが有効」
という考えです。
多分、褒め方の話
明日に総括して、おしまいのつもりです。
も、もう終わりかな。多分。
子どもを褒めましょう、という話をすると、
特に年配の方に(笑)よく言われることがあったりします。
「子どもはガツンと言ってしつけないと、
つけあがるよ」という言葉。
これも、一理あると思います。
何をしても、
どんな悪いことをしても、
「あらあら~♪」なんて笑って見ていたら、
多分子どもは、好き勝手なことをすると思います。
だって、子どもだから(笑)。
相手の迷惑とか、
後の状況とか、
人からの評価とか、
そういうのを考えないのが子どもです。
(まぁ年齢による成長度合いもあるだろうけど)
例えば、周りの目を気にして、やりたいことを全くしない1歳児とかがいたら
逆に私は心配です。
でも、ですね。
ある程度大きくなって、自分の行動が客観視できるくらいに成長したとき、
子どもの行動を制御できるものは、何でしょうか?
部屋の中で走り回る子、
わがままを言う子、
いろんな問題行動をとる子、
それを止めるのは、
瞬発的には「親からの叱責」が有効だろうけど、
多分、親(=怒る人)がいなくなれば
また同じになるのは簡単に予想がつきます。
それを本当に止められるのは?
何より子ども本人の意思、
そして、
その意思を引き出すための自信でしかないと思うんです。
子どもは(というか、大人もだけど)
「こいつは本当に駄目だから」
「いつも騒がしくって仕方のないやつだから」
「相手の気持ちも考えられなくって…」
等々、
そんな目で見られて、そんな風に言われていたら、
「そういう風に育つ」
と言われています。
だって、それが「その人らしい」状態だと
回りも本人も思ってますから。
「駄目で」「騒がしくって」「相手の気持ちも考えない」
のが当たり前で、
その殻を破る必要がないんですよね。
自分なんて駄目駄目だから、
悪いことをしても当たり前~と思えば、悪いことをします。
もっといくと、
悪いことでもしなければ、人が自分を見てくれないとなると、
さらにエスカレートします。
(この辺はまた、別の話ですが)
それに歯止めをかけるのが、
褒められる、承認されることでできた、
「自分は自分のままで素敵」
というような自信だったり、
「自分も、一人の人間なんだから
しっかりしなきゃ」というようなことだったりするんだと思います。
エネルギーに満ち満ちていて、
じっとしていられないような子がいます。
その子に、「お前は乱暴だから」などというような叱責だけで育てて
そのエネルギーをなくすことに尽力すると、
もったいないと思います。
そのすごいエネルギーそのものを
「これはすごいものなんだ」と承認して、
じっとできないことが問題になるんだったら
周りのことも伝えて、自分なりにどうしたらいいのか考えさせたり、
それを上手に使えるように促してあげることはできるんじゃないでしょうか。
もしかしたら、
ものすごいスポーツ選手になるかもしれない。
(そうじゃなかったとしても、
大きな自信になるし、問題行動もなくなるはず)
おとなしくって、
周りのことをよく見ているような子がいます。
その子に
「あなたはグズだから」
「引っ込み思案でだめねぇ」なんて評価だけで育てても
逆に自信がなくなるだけで
積極的になることはまずないと思います。
その子自身をよくみたら、
行動の一つ一つがとっても丁寧だったり、
すごく聞き上手だったりすることも多いんです。
その素敵なところはきちんと伝えて
おとなしいことが問題になる場合だけ、いい方法を使えるようになれば、
それもまた、すばらしいことなんじゃないでしょうか。
みんながみんな、
リーダーになる必要なんかないわけですし。
(みんながリーダーだと、まとまるものもまとまらない)
ということで、私は
「子どもが我に返らせるため、というような
瞬発的なものとしては、『ガツンと言うこと』は必要。
でも、長期的、継続的なものとしては、
褒めや承認のほうが有効」
という考えです。
多分、褒め方の話
明日に総括して、おしまいのつもりです。
2010年08月15日
褒めることの弊害
「褒めることはいいことだ」
ということで、
お伝えしてきたんですが、
一つだけ、書いておいたほうがいいと思うことを
忘れてました。
それは、
褒めることの弊害。
褒めるのが苦手、とか
子どもは褒めずに育てるべき、という方は、
「弊害がある」ということを
やっぱり思われるかもしれませんね。
このあたりのことも、書いておく必要があると思っています。
褒めることが困ることになる、というのは
状況によってはやっぱりいくつかあると思います。
やっぱり一番は、
褒めることが、「評価」になってしまう場合。
前にも書きましたが、
上から目線で「えらいね」などというようなことで伝えていくと、
褒めることそのものが、「評価」「褒賞」になってしまいます。
(叱ることも、「悪い評価」「逆の褒賞」)
これで、子どもをコントロールしているんです。
ということは、
「褒められないならやらない」
ということになってしまう、ということ。
これでは本末転倒です。
そして、
私自身もそういう部分があったりしてたんですが、
人の評価が自分の評価の全てだということになると
ものすごく自信がなくなります。
周りの目を気にして、
自分のしたいことはできないし、
自分の物差しで善悪の判断ができなくなるんです。
人は、人との関係を作りながら生きていくものですが、
限度を過ぎると、
その人なりの良さが、なくなってしまうと思います。
私が考える本当の「褒め」は
その人そのものの、自信をつけること。
そのままのその人(その子)のいいところを指摘して、
時には本人が気付いてもないようなことを伝えて、
私って、私のままで素敵なんだ、
と思わせることが大事なんじゃないかと思ったりしています。
あともう一つ、
「褒めると子どもがつけあがる」ということについて、
もう一つの記事で書いておきたいと思います。
ということで、
お伝えしてきたんですが、
一つだけ、書いておいたほうがいいと思うことを
忘れてました。
それは、
褒めることの弊害。
褒めるのが苦手、とか
子どもは褒めずに育てるべき、という方は、
「弊害がある」ということを
やっぱり思われるかもしれませんね。
このあたりのことも、書いておく必要があると思っています。
褒めることが困ることになる、というのは
状況によってはやっぱりいくつかあると思います。
やっぱり一番は、
褒めることが、「評価」になってしまう場合。
前にも書きましたが、
上から目線で「えらいね」などというようなことで伝えていくと、
褒めることそのものが、「評価」「褒賞」になってしまいます。
(叱ることも、「悪い評価」「逆の褒賞」)
これで、子どもをコントロールしているんです。
ということは、
「褒められないならやらない」
ということになってしまう、ということ。
これでは本末転倒です。
そして、
私自身もそういう部分があったりしてたんですが、
人の評価が自分の評価の全てだということになると
ものすごく自信がなくなります。
周りの目を気にして、
自分のしたいことはできないし、
自分の物差しで善悪の判断ができなくなるんです。
人は、人との関係を作りながら生きていくものですが、
限度を過ぎると、
その人なりの良さが、なくなってしまうと思います。
私が考える本当の「褒め」は
その人そのものの、自信をつけること。
そのままのその人(その子)のいいところを指摘して、
時には本人が気付いてもないようなことを伝えて、
私って、私のままで素敵なんだ、
と思わせることが大事なんじゃないかと思ったりしています。
あともう一つ、
「褒めると子どもがつけあがる」ということについて、
もう一つの記事で書いておきたいと思います。